「ふんにゃか、ふんにゃか」な小説『夜は短し歩けよ乙女』

夜は短し歩けよ乙女』読了。

夜は短し歩けよ乙女

夜は短し歩けよ乙女

黒澤明の『生きる』を観てから、「命短し恋せよ乙女」というフレーズが脳の皺に染み込んでるぼくにとって、『夜は短し歩けよ乙女』というタイトルがまったく覚えられず、最終的に「夜は短し恋せよ乙女」という風に覚えてしまっていた。森見登美彦という名前も覚えにくくて、未だに本のタイトルも作者の名前も正しく言えるか自信がない。

本の概要は言わずもがなで、ダ・ヴィンチの“BOOK OF THE YEAR 2007”で1位、2007年の本屋大賞でも2位、直木賞にもノミネートされ、さらには山本周五郎賞を受賞している、ちょー大ヒット作。

中村佑介が担当している表紙のイラストを見て、懐古趣味な和風テイストの物語なんだろうなぁと思っていたら、その通りだった。ぼく自身も、この装丁に惹かれて読んでみたいなぁと思っていたので、その時点で世界観みたいなモノは確立されている。ぼくはハードカバーを持ち歩く時は基本的にカバーを外すんだけど、カバーを外しても、こんな感じでかわいらしいイラストが出て来る。

巷で言われてるように浪曲狂言を聞いてるかのような、凝った文体がクスクスと笑いを誘い、ファンタジーというよりも、摩訶不思議や奇々怪々と言った言葉が似合う世界観が圧倒的で、その世界に負けないようにちょー個性的なキャラクターが脇を固める。全部で四章立てなのだけれど、ズボンを引ったくるジジイと偽電気ブランの飲み比べをしたら、池から鯉がバビョーンと飛び出してくる第一章と、人生を達観したような少年と「ラ・タ・タ・タム」という古本を探して、激辛鍋喰いバトルを繰り広げる二章がバツグンにおもしろかった。

――――ただ、気になる所もいくつか。

まず、脇役が個性的なのに対し、主人公とヒロインが無個性で、特に主人公目線で進行するパートが少な過ぎるために、「不思議ちゃんに恋した草食男子の奮闘記」という物語の芯がおもしろい文章に埋もれてる気がした。特にヒロインの視点を描いた後に、主人公の視点になるところが多いため、「けなげな主人公が奮闘している!そのとき彼女は!?」というすれ違いがうまく描けていない。それだったらけなげな主人公の視点の後に天然ちゃんのヒロインの視点という構成にした方がおもしろかったのではないだろうか?

実際、二章でヒロインのために行動する主人公はすこぶる魅力的なのにも関わらず、ヒロインが持ち前の演技力を駆使して、演劇をする三章は明らかに蛇足で、主人公とヒロインが近づくはずの四章で物語は異常なほど失速してしまう。

「なむなむ」という言葉が多用されているが、ぼく自身、この小説を読んで思ったのは「ふんにゃか、ふんにゃか」であった。

「ふんにゃか、ふんにゃか」というのは方向性に迷っていた釈由美子が愛用していたフレーズで、ぼくは「かわいらしい風貌の不思議ちゃんが言う“のほほん”」という風に解釈していたのだが、それがピッタリとこの物語に当てはまってしまった。とにかく読んでる側から「ふんにゃか、ふんにゃか」が頭から離れず、遂には、この小説のヒロインが釈由美子へとトランスフォームしてしまったのだ。うーむ。


――――というわけで、釈由美子の「ふんにゃか、ふんにゃか」に当時萌えてた人にはおすすめです。ホントに「ふんにゃか、ふんにゃか」な小説なんですよ。そうとしか言いようがない。あういぇ。


参考資料:釈語辞典「ふ」
http://syaku.at.infoseek.co.jp/syaku-dic/hu.html