「小さな恋のうた」についてのたわごと


つくづく不思議な曲だなと思う。

パワーコードをかき鳴らすだけのギターに、ただただルートをなぞるだけのベース。それほど音域も広くなく階段を上がって下がるような地味なメロディライン。さほど歌唱力があるわけでもないぶっきらぼうなボーカル。一音にひとこと、母音を強調する歌謡曲のような言葉の乗せ方。パンク/メロコアというフォーマットに落し込んだストレートで気恥ずかしい歌詞*1。それなのにもかかわらず、なぜこんなにも心に染み入るアンセムになりえたのだろう。音楽の力というのはまことに不思議であると心の底から思う一曲だ。

個人的には大嫌いだった青春パンクブーム*2において、この曲のみがエバーグリーンになったのは、単純に歌としての力が強かったからなのだろう。テンポを落として、妙に良い曲風に仕上げたカバーがたくさん生まれたのもそれが証拠だと言える。もっといえばこの曲は、元々太田裕美が歌ってもおかしくないような曲をむりくりパンクバンド用にアレンジして出したというような印象すら覚える。その違和感がよかったのかもしれないが。

元々モンパチは変拍子を使ったり、プチプログレ風の展開をしてみたり、ベースラインが動きまくったりと、どこかメロコアを主体にしながらもユニコーンがやるようなズッコケを小技で効かせるバンドという印象があったので、この曲のシンプルさには驚かされた。ここまでシンプルな曲もそうないだろうというくらいシンプルだ。

――――最近というか、震災以降映画も見ず、本も読まず、マンガも読まず、それこそテレビも見ず、ひたすら音楽ばかり聴いていた。シューゲイザー関連に始まり、USオルタナ勢、80年代ハードロック、そしてアクモン、ビーディ・アイ、レディへ、ゴリラズストロークスなどの新譜から、キンクスオールマン・ブラザーズ・バンドレッド・ツェッペリンなどの大御所……さらにくるりイースタンユース

どうもそういう音楽ばかり聴いていると、じぶんの考え方も偏りがちになってしまう。映画においてもそうだし、誰しもがそういう時期があると思うが、いわゆる音楽聞きはじめによくある「かぶれ」というか、やれ、フィードバックノイズがどうした、やれ変拍子のリフがどうした、ブルースとはなんぞや的な………いわゆるロックバンドとはこうでなくてはならないみたいな偏屈なおっさんのたわごとがだんだんと増えてくる。

ぼくは映画はなんでも楽しんで観るタチなのだが、こと音楽に関しては「こんなのロックでもなんでもねぇよ!くだらねぇ!」みたいなことがどうもよくでてきて、そのたびに周りに迷惑をかけてしまうのであった――――と言いつつ、ぼくはそこまで音楽に詳しいわけではないんだけども……最近になってやっとオジー・オズボーンという人がブラックサバスのボーカルだって知ったくらいだし……

そういうかぶれてる人特有の思考になったとき、こういったシンプルすぎる曲を聴いて、ロックってそんな小難しいもんじゃないだろと自分を戒めるようにしている。あういぇ。


おまけ、小さな恋のうたのあらゆるカバー。それにしてもこうださんのカバーはどうかと…

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*1:ぼくの中でパンクとは女王陛下もEMIもクソッタレみたいなイメージなので

*2:ゴイステやガガガは好きなんだけどな……