マキタスポーツに先駆けたミスチル桜井の「作曲モノマネ」


Mr.Childrenがデビュー20周年を迎え、記念特番やベスト盤発売、そして全国ツアーなど、かなりの盛り上がりをみせている。特にベスト盤はCDが売れないと言われてる時代に200万枚という特大セールスを記録。20年バンドが続くとなると、ベテランの域に達しているわけだが、つい最近も『僕等がいた』の前後編の主題歌を手がけるなど、その勢いは衰えることを知らず、むしろ加速しているようにも思える。

さて、大ファンというほどではないにしろ、ある程度ミスチルを聴き続け、ずっと追いかけてきたわけなのだが、最近になってようやく気づいたことがある。

桜井和寿はモノマネがうまいということだ。

こないだスカパー*1ミスチルの特集をしていて、そこでもなんとなく引っかかっていたんだけど、ミスチルを聴いていると「この曲はこの曲に似てるなぁ」となんとなく思っていても、それがなんなのかはよくわからないということが度々ぼくのなかで起きていた。

裏を返せば「誰の何の曲とはハッキリ名言出来ないけど、いかにもこの人が作りそうだ」という曲がミスチルには多いということになる。

つまりミスチルの桜井は、マキタスポーツがやっている「作曲モノマネ」をすでに第一線でやっていたのだ!

そんなミスチル桜井の絶妙な「作曲モノマネ」をデビュー20周年にしてひとつずつ検証していくことにする。



エルヴィス・コステロ

『シーソーゲーム』がコステロに似てるというのはとても有名な話で、この曲はこれに似ているとかいろんなサイトで検証されているが、ハッキリいって曲そのものが似ているのは『虹の彼方へ』と『(What's So Funny 'Bout) Peace, Love, and Understanding』くらいで、『Oliver's Army』や『Veronica』、『Radio, Radio』などはそこまで似ているわけではない。ただ、これが「作曲モノマネ」になると話は別で『Radio, Radio』のAメロの切り方は『メインストリートに行こう』のAメロの切り方と一緒だし、そもそも『シーソーゲーム』のAメロは『Radio, Radio』をなんとなく彷彿とさせる。

マキタスポーツと決定的に違うのは、歌そのものがコステロのマネになっているということ。むしろコステロのモノマネとすれば、これは相当な技術であり、これは青木隆治でも無理なレベル*2。これをモノマネに置き換えるとしたらネタは「もしコステロが日本語でミスチルの曲を歌ったら?」になるはずである。


ボブ・ディラン

『十二月のセントラルパークブルース』をはじめて聴いたときの衝撃をいまだに忘れられない。日本語で歌っているのに、ここまで完璧にボブ・ディランの譜割で歌えるものなのか!?と驚いた。これは岡林信康高田渡も、まして吉田拓郎も出来なかった*3前人未到の作曲モノマネであり、みうらじゅんはそうとう悔しがったに違いない。実際、フォークソングしか知らない親父に「これは誰のモノマネでしょうか?」とクイズ形式で聴かせてみたところ「はっはっは!これ『ライク・ア・ローリングストーン』じゃん!」と一発で当てたくらいなので、そうとう似ていると思われる。ただ、アレンジ自体はストーンズのような感じなので、ボブ・ディランのこの曲に似ているよねーとはならず、やはり「作曲モノマネ」に留まっている。

ちなみに『独り言』は思いっきり『Knockin' On Heaven's Door』だが、こちらも「作曲モノマネ」としてはそうとうクオリティが高い。


ローリング・ストーンズ

ストーンズの代表曲である『Start Me Up』や『Jumpin' Jack Flash』、『(I Can't Get No) Satisfaction』、『Brown Sugar』をグチャまぜにしたような曲で、これもいろんなところでストーンズ風と評されているが、実はアレンジだけでなく、ミスチルにしては珍しくメロディの起伏がなく、歌詞も英語が多めであることから、言葉の乗せ方にしても洋楽指向であったことがわかる。特に「僕を転がしてくれ」というのは完全にローリングストーンズのことを示唆していると思われる。



吉田拓郎

『Q』というアルバムで先ほど紹介した『十二月のセントラルパークブルース』の次に収録されているのが『友とコーヒーと嘘と胃袋』なのだが、この二曲を並べたところにミスチルのセンスが光る。同じ「日本語字余りソング」でありながらも、桜井は明確にディランと拓朗の作曲方の違いを証明してみせる。ひとつの音符にことばを乗せた革命的な歌を作っていた吉田拓郎だが、ディランとは明らかに違い、日本のものだという批評性がこの二曲には込められているような気がする。元になっているのは『イメージの詩』だろうが、これまた「っぽい」だけで、曲そのものに似ているわけではない。

『1999年、夏、沖縄』も同様で、なんとなく拓朗っぽさはあるものの、この曲!と名言出来ないのが「作曲モノマネ」である。


長渕剛

動画のコメントに「桜井は音楽雑誌のインタビューで「作曲中に長渕剛さんが降りてき­ました」と語っている」とあるが、これは作曲モノマネとしてはかなりクオリティが高い。長渕剛なのは間違いないのだが、長渕剛のどの曲か?というのはまったく分からない。歌唱法もかなり似せており、「素通りする」の「する」の発音はほぼ完璧。


奥田民生

Aメロはまさに民生そのまんま!歌唱法も若干似せているが、これまた長渕剛と一緒で「この曲に似てる!」と名言できないタイプの作曲モノマネだ。


スキマスイッチ

この曲に関しては「どこが?」という人のほうが多いはずだが、実はこの曲、展開がAメロ→サビ→Cメロ→キーが上がったサビという流れであり、これはスキマスイッチの『奏(かなで)』とまったく一緒なのだ。部品は違うものを使っているが、設計図が一緒といったところだろう。ピアノとストリングスをメインにしたアレンジやドラムなど「作曲モノマネ」としては、指摘されない限り気づかないレベルだと思われる。実際、ミュージシャンをしている友人*4に「これ展開『奏』と一緒だよね?」と言って、説明したら「ホントだ!」と納得してもらえた。


他にもスマパンレディオヘッド、ストーンローゼズなどいくつかあるのだが、これは作曲方というよりもアレンジ先行のような気がしたので省いた。ミスチルの桜井はアーティストとしてだけでなく、音楽研究家としても一流で、その曲、その曲に批評性を込めており、それが一般のリスナーだけでなく、ミュージシャンたちにも愛される要因になっているんじゃないかと思った。

さて、実は「作曲モノマネ」を得意とするマキタスポーツも「ミスチルが『トイレ』という曲を作ったら?」というネタを持っていて、いろんな番組で披露しているのだが……


うーん……逆にこっちはあんま似てなくね??*5

関連エントリ

桜井さんの誕生日ということであえて「SUPERMARKET FANTASY」の感想を - くりごはんが嫌い

*1:無料放送なので見ることが出来た

*2:そもそもコステロのマネなんて一般人に分かるわけないのでやろうとしない

*3:というよりもやらなかった

*4:カナデフウビという新潟のアーティスト

*5:もちろん民生やaikoなどすっげえ似てるのはある