『マウス—アウシュヴィッツを生きのびた父親の物語』を読んだ。
17日朝
アート・スピーゲルマンの『マウス』を読んだ。アウシュヴィッツから生還した作者の父の話を、フィクショナルにする事なく、インタビューする様から、生活から、語り口から、ビデオで録画したドキュメンタリーの如くすべてさらけ出してマンガとして描き切り、ニューヨーク・タイムズに「ドキュメンタリーのもつ細部の精確さと、小説のような鮮やかなきりこみを併せもつ傑作だ……まさに文学的事件である」と激賞され、ピューリッツァー賞を受賞した作品。
- 作者: アート・スピーゲルマン,Art Spiegelman,小野耕世
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 1991/08/01
- メディア: 単行本
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しかもマンガ特有の表現。人間をネズミやネコ、ブタに置き換える事で、描き分けとメタファーを組み込む事に成功していて、リアリティと童話と寓話が渾然一体になったような不思議な感覚を覚える。同じホロコーストでも映画で観る雰囲気とはまるで違う。
ただ、そこで描かれているのは悲惨極まりない。子供を壁に叩き付けて殺したり、撃ち殺されたり、死体の山が築かれたり容赦無い。特にガソリンをかけて焼き殺したり、餓死する様を克明に描くところでは、その画力のせいか吐き気を覚えた。殺されてるのはネズミなのだが、メタファーなので、ちゃんと人間が死んでるように見えるところも凄まじい。
『ウォッチメン』の時にも書いたが、『マウス』は日本のマンガに慣れてるとある程度の読みにくさは感じると思う。とにかくコマに込められた情報量がハンパじゃない。『マウス』は全二巻だが、ヘタすると『スラムダンク』全巻よりも読了するのに時間がかかるかもしれない。キャラクターの心情やセリフの量は尋常じゃないし、絵にもそれぞれに意味が込められている。
とてつもない労力と疲労感もあるが、ただ、その分、読み終わった後の満足感と感動の大きさは、それこそ偉大な文学に触れた様な、とてつもないものを読んでしまったような、えも言われぬ快感がある。ドストエフスキーとか川端康成を読んだあの感じと言えばいいだろうか。読み終わって「いやぁ、このマンガおもしれぇなぁ」と簡単に口にする事は出来ないあの感じというか、、、
『ウォッチメン』や『ダークナイト・リターンズ』などアメコミルネッサンスと呼ばれてる86年の傑作群を読んでみて思ったのは、それぞれ違う魅力が特出してるという事だ。
『ウォッチメン』はコミックの中に、資料や小説、さらに別なコミックを登場させるなど、コミックだけにしか出来ない事を突き詰めた作品という印象があった、だからコミックでしかありえない作品で映像化が無理だったわけだ。『ダークナイト・リターンズ』は日本の劇画的な表現の中にバイオレンスと政治を盛り込んだ強烈なエンターテインメントで、『マン・オブ・スティール』はいわゆるアメコミの伝統に基づきながらも、まったく新しい視点から描き出した傑作だった。ひとくくりにされてるような気がしてたが、ちゃんと読み込んでみれば、それぞれに違う方向性がある作品なんだなと思った。というか、そりゃ当たり前だよな。同じグランジでもニルヴァーナとスマパンではエラい違いがあるわけだから。
それでも、その中でも、『マウス』はひときわ浮いているように思う。ぼくはアメコミの専門家でもないし、ファン歴もかなり浅いが、『マウス』はもう読んでる側から、コミックという感覚じゃなかった。しかもノンフィクションでもフィクションでもない、もちろん小説でも絵本でもない、まったく新しい文学と呼ぶにふさわしい物だと思う。
とにかくとんでもない物を読んでしまった感が強い『マウス』だが、もしアメコミに興味を持って、『マウス』から読もうと思ってるのであれば、辞めた方が良い。いろいろ読んで、アメコミっておもしろいなぁという感情が出来てからにした方が感動はデカイと思う。そして、読もうと思ってるのであれば、これから偉大な文学と戦うくらいの覚悟でページを開く事をおすすめする。あういぇ。