あなたはこの虐待を見続けることが出来るだろうか

隣の家の少女』を読んだ。

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

id:doyさんのこのエントリを読んでから気になってしまい。猛烈に読みたかったのだが、その時は『GANTZ』と『上京アフロ田中』を集めるのに夢中で、本からは離れていた。ところが二月に入ってから読書メーターなるものを発見し、そこから読書熱が沸騰――――やっと読む気になったのだが、新潟ではつい先日も雪が降り注いでいるくらいの寒さで、駅前のジュンク堂までチャリ漕げるかっ!このスカポンタン!と、買いに行くのが億劫になってしまって、結局買ってなかった。そもそも車での移動がメインの新潟県人にとって、駅前とバスセンターは不便以外の何者でもない。しかも狭いし。何故あんなにも不便なところにビッグカメラドンキホーテジュンク堂というクソ便利なお店をお作りになられるのか、まったくもって理解に苦しむところである。

んで、やっと雪も降らなくなって来たなぁと思ってたところ、駅前にでも飲みに行くかと職場の連中と一昨日の夜に行こうとしたら、また雪降ってきやがんのよ!タクシーとか代行はイヤなのよん!――――そんなことを思ってたら、おじいちゃんに送ってもらおうとしていた心優しき後輩にあいのりさせていただき、そのついでにジュンク堂にも寄って、やっと『隣の家の少女』を購入出来たのでありました――――ちなみにその飲み会では人生最大の泥酔をし、便所でリバースしまくったあげくに、吐瀉物で便器を詰まらせてしまった……当然ながら、二日酔いもそりゃ酷かったのだが、午前中にベットで寝ながら読んだ。

舞台は1958年の夏休み。12歳の主人公はある日、お隣に越して来たメグという少女に出会う。メグは両親を交通事故で亡くし、妹のスーザンと共に、ルースという気だての良いおばはんに引き取られてやってきた。一瞬でメグに魅せられた主人公はメグを一目見ようと、隣人の家に通いつめるようになるのだが、そこで主人公はルースに虐待をされていたメグを目撃することになる……

なすすべも無く、虐待を傍観するしか出来ない主人公と読み手が絶妙にシンクロし、虐待シーンが始まったくらいで二日酔いも相まって、当然の如く吐き気を催した。酔眼朦朧とした意識と全身を貫く悪寒、それが強烈な文章と相まって不快指数はマックスだったのだが、それでも読むことをやめられなかった。

ホラー小説に括られているようだが、その怖さは多岐に渡って表現される。一番驚くのは、やはり虐待を傍観しながらも、それに興奮している主人公と読み手の気持ちがリンクするところだ。生理的に嫌悪してしまうような虐待が連続して出て来るのだけれど、次が見たくなるという気持ちをどうしても止められなかった。140ページ以降は『時計じかけのオレンジ』同様、自分の倫理観を引き裂かれそうになる。

解説で言ってるように出だしは、“裏”『スタンド・バイ・ミー』で、ノスタルジックでほのぼのとした雰囲気だ。何もこれから恐怖の連続が起こるなんてことは微塵にも感じさせない。大人になった主人公が少年時代を回想するという構成も非常に似ているのだが、ぼくが思ったのは『スタンド・バイ・ミー』よりも『ミザリー』だった。

確かに、虐待に興奮を覚えて行くのも怖いのだが、ぼくがそれ以上に怖かったのが、息子たちと共謀して虐待を取り仕切るルースというおばさんである。12歳の子供にビールを飲ませたりして、子供に愛されるような良い人と描きながら、究極の狂人として、時に『ミザリー』のアニーを越す変貌ぶりを見せる。しかもただの狂人ではなく、何故ルースが虐待をするのかという理由が至って普遍的で、それは結婚して子供がいるお母さんならば、誰もが何処かで抱えてる感情であり、それが理由だったのかと分かった瞬間、あまりの恐怖で鳥肌が立った。

読む人を徹底的に不快にさせるとか、最強鬼畜小説とか、いろいろ言われていたが、ぼくが最後まで読めたのにはいくつかの理由がある。

まず、単純に文章が分かりやすい。難しい言葉が一切出て来ない。さらに事故の描写を「車のグリルにキスをした」と書いたり、比喩もすごくおもしろい。各章の終わらせ方も期待感をあおるのに成功している。テレビを見てると、「さらにこの後とんでもない事態が!」なんて言いながらCMに行くが、あれが随所に差し込まれる感じだ。

虐待するシーンだが、殴る蹴るがメインになっていて、あくまで嬲ることが目標であること。ナイフで刺すとか、肉体をえぐったり切断することはそこまで描かれないため、耐えられないわけではなかった。さらに少女がどういう状態になっているのかというのが明確に描写されないため、痛さがそこまで伝わってこなかったのも読めた要因だった。

あと、どんどん過激になってく虐待だが、一番酷いと思われるシーンは「これにかんしては語りたくない。ごめんこうむる。話すくらいなら死んだほうがましという事柄があるものだ。目にするくらいなら死んだほうがましという事柄が」という文章だけが出て来て、『レザボア』の耳切りシーンよろしく、何が起こったのかは詳細に描かれない。これも救いだった。

虐待の連打が終わった後は『わらの犬』のようなヒリヒリしたバイオレンスといや〜な終わり方が待っているが、ぼくはそこまでイヤな印象はなく、読後感はかなり爽快だった。「残酷なのに、どこか切なく美しい」というコピーが帯に書かれているが、それ通りの傑作。あ、書き忘れたけども、これ実話を元にしているというところが一番救いがないところ……

――――さて、この『隣の家の少女』は2007年にアメリカで映画化され、日本でも間もなく公開されるのだが、新潟には絶対に来ないんだろう。というわけで、もう発売されているUS盤ブルーレイで観たいのだが、US盤は英語字幕が付いていないとかなんとか……これはなんとしても映画化したヤツが観たい。字幕無しでも買ってしまおうか悩むところではある。でもレンタルまで待てない。どうしよう…あういぇ。