気にしすぎなトラヴィス『告白』
町田康の『告白』を読んだ。この人の本を読むのは初めてである。

- 作者: 町田康
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2008/02/01
- メディア: 文庫
- 購入: 12人 クリック: 184回
- この商品を含むブログ (138件) を見る
上方落語や河内音頭の造詣が深く、さらに自身がパンクバンドをやっていたという経歴を知ってすごく合点がいった。そういう経験や知識がそのまま文体として表れることに、ことばや表現のおもしろさを知るわけだが、単に奇を衒ったものではなく、そこに自然と行き着いたというような感じがある。
そもそも奇を衒うというのは奇を衒ってるなと思われた時点で負けだ。それはエピゴーネンに多く、その奥にある本質や源流が見劣りがちになってしまう。町田康の文体からはそういったバックグラウンドがしっかりと見えており、それそのものが「おもしろい」ので、どんなことが書かれていてもわりかし楽しくすらすらと読めてしまうのかなとは思った。
『告白』は明治時代に起こった大量殺人事件、河内十人斬りをモチーフにした作品。
自身が愛する河内音頭のナンバーになってることもあってか、いつかは書いてみたいと思ったのだろう。
そのモチーフと文体が見事に結実したような重厚な作品で、事件の主犯格である城戸熊太郎がなぜ十人を殺害するに至ったかを生い立ちから順に追って600ページにわたり描いている。それこそこれでもかっ!ってくらいに。
明治時代の大量殺人事件ということで比べるのはおかしいが、それこそ映画になっている『丑三つの村』や『タクシードライバー』とほとんど同じ思考/展開を見せるので、これらの作品が好きなら間違いないと思う。いつの時代にもこういうことを考え、行動に移す人間というのはいるのだなと改めて実感した次第。
一度犯した過ちからヤケになり、どうせ警察に捕まることが確定しているのだからと思う反面、もし捕まったらどうしようというアンビバレントな考えから、仕事もせず、酒に逃げ、博打を打ち続ける熊太郎。ただ、その犯した罪がもし勘違いだったとしたら?自分が気にしすぎていただけで、本来は誰もが忘れ去ってるような些細な出来事であったら?熊太郎は端から人生を踏み外していたことになり、それが根底にあるため、もうどうなってもいいやというヤケっぱちに加え、今まで虐げられてきたという鬱屈した思いが30年にわたって爆発し*1、大量殺人へと導いていく。
ひとことでいうならば、熊太郎は気にしすぎなトラヴィスだ。思弁的という表現が作品内で頻繁に登場するが、とにかく主人公はひたすら物事を考えまくる。よく、考えるよりも先に行動してしまうなんてひとがいるが、それとは真逆の存在と言ってもいいだろう。
気にしすぎと書いたが、実際人間は一瞬で多くの物事を考える生き物だと思う。人と人とは分かりあえないなんてよくいうが、ホントにその人の真実なんて誰も知らないし、知り得ないのだ。
そういった、誰もが一瞬でいろんな物事を考えるという部分を600ページもかけて丁寧に書き連ねていくのだが、その人間の頭の中や、人生そのものを描いた厚みが、そのまんま殺人の動機になっているんだと言わんばかりの展開を最後の最後に見せる。
この作品を読んで「この熊太郎はオレだ!」と感じるひとがいたら、それは正しい感情であるといえる。
なぜならば、この作品は誰もが一瞬でも熊太郎に感情移入出来るように作られているからで、「こういう気持ちや行動はオレもしたことある」というのが、必ずどこかにひとつでも入っているのだ。
その反面「この考えはオレには理解出来ない」という部分も少なからず入っており、それのどれに同調するか?は人によってさまざまだと思うが、つまりこの作品は、熊太郎に同調させる部分を広いストライクゾーンを使って刷り込ませることで、人間なら誰しもが状況によっては人を殺してしまう生き物なのだということを読者に訴えかけている。そしてそれは「心の闇」という常套句では片付けられないものなのだと。
作品のキャッチコピーは「なぜ人は人を殺すのか?」だが、これほどこの作品を的確に表現したものはないだろう。
というわけで、分厚いし、文体に慣れなかったら読むの辞めようと思い、気軽に手に取ってパラパラとページをめくっていたら、いつの間にか終わっていた。そんな作品だった。単純におもしろかった。個人的には『人間失格』や『氷点』と同レベルな作品として評価したい。
関連エントリ
*1:他にも引き金になるような事柄が山ほどある